魂の生命の領域

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柳 を読んだ

はじめに

(原題 The Willows)を読みました(100円)。 こちらの記事と同じ著者、アルジャーノン・ブラックウッド による作品です。

kesumita.hatenablog.com

ウェンディゴと同様に大自然を舞台に人智を超えた大いなる "存在" の恐怖を描いたものです。

序盤は雄大な自然の中、ドナウ川を友人とカヌーで下りながらキャンプを続ける楽しい美しい自然描写が続きますが、徐々に不穏な兆候が現れ始め…というこれまた似たような感じですが、まぁ怖い。

あらすじなど

舞台は本文の表現を借りると、ドナウ川の "ウィーンを過ぎた後、ブダペストに着くまではまだずいぶん距離のあるあたり" で、日本人にとってはパッとイメージできないですが、 "ひときわもの寂しく荒涼とした流域" で "川筋は本流を離れて四方八方に広がり、一帯は広大な海のように生い茂る丈の低い柳に覆われた、何キロにもわたる沼沢地" であるそうです。

私の文章がプロの作家が書いてプロの翻訳家が日本語訳した文章に勝てるわけがないのでだいぶとそのまま引用しましたが、上記の風景描写は本書が始まった直後に描かれます。

ブダペストハンガリーの首都なので、 Wikipedia を見ると上流から中流に差し掛かるあたりのようです。 ja.wikipedia.org

ここですでにタイトルにもなっている 柳 が出てきますが、以前紹介したウェンディゴでの原始林と同様に 柳 は "うっとりするほどに美しい" ものとして語られます。

ドナウ川は上流に近いということで流れは速く、氾濫すれば砂や砂利でできた中州が削れたり水没してしまう、そしてまた別の場所に同じような中州を作ったりする、そういった状況であることが語られます。

主人公は二人乗りのカヌーで氾濫した勢いに乗ってドナウ川を降りながら途中途中でキャンプをする旅行中で、7月の中頃あたりのお話です。

そこまではハンガリーの街並みを見ながら進んでいたのが、唐突に柳の生い茂る沼地のエリアに、人の気配もない "あらゆる文明の痕跡が視界からことごとく消え去った" 領域に差し掛かります。

ウェンディゴでのカナダの原始林に入ったあたりと同じですね。

主人公たちは数日経つともう削れてなくなってしまいそうな砂地の中州にキャンプを拵えます。 流れの少し先には鬱蒼とした柳があり、向こうが見えないぐらいで、まるで柳たちが川を全て吸い上げてしまっているかのように感じられます。

ここで、主人公はなんとなく心がざわめくようななんとなく不吉な感覚を得ますが、あくまでも巨大な自然のただなかにいる人間のちっぽけさ、無力さからくるものだと片付けます。まぁ当然ですわな。

主人公と行動を共にする友人は淡々とした人で、主人公のような感受性とは無縁(だと主人公は思っている)で、むしろこういう自分がなんとなく怖いと感じたときにはそれを一蹴してくれる心強い存在でもあります。

そしてこのキャンプが始まったあたりから徐々に嫌〜な感じになってきます。 最初は水死体が流れている!と思ったらカワウソが泳いでるだけだったり、近くに船釣りをしているおっさんが見えたりと、一瞬びっくりするけど別になんてことはない…と思わせて、船から自分たちを見ていたおっさんは何かを伝えようとしていたようにも見えたりしてなんとなく、なんとなく不穏な感じがあります。

なんとなく人が立ち入ってはならない古の神々の領域に足を踏み入れてしまったかのような、そんな雰囲気を感じます。

主人公はキャンプ上で寝ようとしますが、風の轟音でなかなか寝付けません。 その風の音に時折混ざる奇妙な、「宇宙を巡る惑星の上げる音」を想像させるような巨大な力を感じさせる音を聴きます。

翌朝にもなると主人公はこのキャンプしている中州を取り囲む「柳」の明らかに異常な、不気味な何かを感じとることになります。この柳たちの中には「何か」がいて、明らかに自分たちに敵意を持っていると実感します。

そしてその夜、主人公は柳の中にいる「何か」をはっきりと目撃し、そこから「何か」がじわじわと主人公たちを追い詰めていく…

感想など

ネタバレしないように小説のあらすじを書こうとすると、毎回とりあえず頭から読み返して要点を抜き出して書き進めた後、「結構な分量書いた気がするのに本の中では全然進んでないししかもこのまま行くと最後までただ本の内容を自分のクソ文章力で噛み砕いただけのゴミになってしまう」と気づいて適当に切り上げる、というパターンになっています。

そうです。あらすじで書いたのは本文中の4分の1ぐらいが進んだあたりで、あらすじで書いたあとのシーンでは、自分たちに敵意を持つ見えない何かが徐々に姿を現し主人公たちは成す術もなく結末を待つ、という流れになります。

まぁ、読んでくれ。

冒頭でいくつか本文を引用して説明した序盤のドナウ川の説明パートですが、ここの表現力が最高ですね。

ドナウ川の源流から河口までをドナウ川の一生に例えて描いています。 川というものはだいたい上流は流れが急で、下流に行くにしたがって穏やかになっていきます。 川辺の石も上流だと尖ってて下流に行くと丸くなる、というのは小学校でも習いますよね。

これを人生に擬(なぞら)えているわけです。 お転婆で奔放な上流を幼少期、そこを過ぎてイン川が流れ込んで押しのけられるようにして流れていくエリアで社会に揉まれるような感じですね。「彼女」というように女性に例えているわけですが、かなりしっくりときます。実際の流域の地域ではどちらの性別として捉えられてるのか知りませんが、なんか女性っぽいです。

やはり自然描写の鮮やかさは一級品です。

後半に行くにしたがって柳たちのなかにある「存在」が何者なのかが少しずつわかってきますが、といって主人公たちの中だけでの解釈として語られるのみで、物語としてメタ的な視点では明かされません。 これがいい。人間はその想像力ゆえに姿のないものに怯えるのです。

仮に形を現そうとも、人間の住むこの三次元空間(時間も入れれば四次元)(四次元だぞ!ってツッコミを入れようとした人、君たちの顔を私は知っているぞ。)の枠組みでは理解できないものは怖いです。

例えば、二次元の平面を球体が三次元方向から通過したとき、二次元面ないでは、急に何もなかったところから突然点が現れたと思ったらそれが大きくなって円になり、またあと時点から小さくなっていきまた点に戻ったと思ったらもうどこにもない、そういう見え方になるはずです。

これは私たちが二次元の世界より高次元な三次元空間に生きるから容易に想像できるわけです。

ではこれを次元を一つ増やして、四次元の球体が三次元空間を通過したときどうなるかを考えてみます。 すると、三次元空間内に突如点が現れたと思ったらそれが大きくなって球体になり、またある大きさを境に小さくなって点に戻って最後は消えてしまう、そんな挙動であるはずだと想像できます。

幻想的でもあり、また気持ち悪いですね。

私たちの住む世界とは違った世界が存在して、それが実は私たちが普段意識することも触れることもできない境目で区切られているだけですぐ近くにあるのかもしれません。 そしてその区切られ方というのも三次元的なものではないかもしれません。

気持ち悪いですね。

まぁそういうお話です。

若干ネタバレ気味かもしれませんが、安心してください。この程度の事前知識で怖さが軽減できるようなものではないです。

人間が想像できる領域のギリギリ外側にいる何か、そしてその何かに魅入られてしまった逃げ場のない人間の恐怖を味わってくれ。